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天皇陛下のお言葉

まず最初に僕の立場としてはこうです。

僕の考えとしてはこのようなやり方は立憲国家にたいして非常に有害であると考えているがそもそも立憲国家は停止して天皇親政が望ましいと考えているのでどんどんやっていってほしい、というかんじです

— レバノン人 (@ssig33) August 8, 2016

本日発表された天皇陛下のお言葉の中に以下の一説がありました。

天皇が象徴であると共に,国民統合の象徴としての役割を果たすためには,天皇が国民に,天皇という象徴の立場への理解を求めると共に,天皇もまた,自らのありように深く心し,国民に対する理解を深め,常に国民と共にある自覚を自らの内に育てる必要を感じて来ました。こうした意味において,日本の各地,とりわけ遠隔の地や島々への旅も,私は天皇の象徴的行為として,大切なものと感じて来ました。

(中略)

天皇の高齢化に伴う対処の仕方が,国事行為や,その象徴としての行為を限りなく縮小していくことには,無理があろうと思われます。また,天皇が未成年であったり,重病などによりその機能を果たし得なくなった場合には,天皇の行為を代行する摂政を置くことも考えられます。しかし,この場合も,天皇が十分にその立場に求められる務めを果たせぬまま,生涯の終わりに至るまで天皇であり続けることに変わりはありません。

これはどういうことでしょうか。天皇とは日本各地を巡視し国民と共にあることがその職務であり、それが出来ない限りは天皇ではない、という強力な意思を天皇陛下は発表されました。

ところで憲法には

第一条 天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。

とあり、明確に天皇の地位はありようは国民によって決定されると書かれています。しかし、陛下は天皇のなすべきことを自ら決定され、国民にお伝えになられました。国家と国民統合の象徴とはなんであるかを決定することは国民ではなく、天皇自身であると宣言されたことになります。

これは事実上天皇親政の宣言であり、主権は国民ではなく天皇にあることが宣言されたのではないでしょうか。そして共産党をはじめとするすべての政党がこうした点について異論をさしはさんでおらず、天皇陛下のお言葉は事実上国民の大多数に受け入れられたと考えていいのではないか。

もちろん実際のところ行政、政治の要人たちが国民主権という建前を維持しながら陛下のご意志を実現する方法を考えに考えた結果があのスピーチなのだと思います(本格的な検討からは八か月、さらに 5 年近く前から予備的な検討がはじまっていたと報じられています)。しかしその上で天皇の地位とは何かということを陛下が決定するようなお言葉があのスピーチに残存したということは、これにかかわる人たちの共通の見解として天皇こそが元首であり主権者なのだという意識がどこかにあることの証左なのではないか。

当然のことながら今すぐにこのような出来事をもって民主主義国家の直ちの終焉が訪れるとは僕も考えていませんが、これが契機となったということを認識する日がいつか来るのではないか、あるいはこれを契機としてそのような方向に物事を少しずつ動かしていくことは難しくないのではないか、と考えています。

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