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フランスの教育制度

中国では科挙と呼ばれる制度で行政官を採用していたことは、比較的よく知られています。この制度は極論すると、「試験を通じて官僚になるためのルートは用意するが、教育機関は用意しない」というものです。

科挙なる試験を突破するための教育は、全て民間に任されていたわけです。すなわち、優秀な官僚になるための教育は全て民間に委託されていたと言っても過言ではありません。

このような方針は日本においても採用されていたと言ってよいでしょう。江戸時代において諸侯であるとか、徳川将軍家などと呼ばれる人達は、戦国時代から続く武士の家だとか、あるいは武家株を購入するだけの資力を持った商人の自助努力に頼って人材を集めていましたし、明治以降の大日本帝国や現日本政府は帝国大学を出て公務員になる試験を受ける人材を政府の資金で教育するということはしていません。

現代においてあくまで各家庭が自らの努力で子弟を教育し、その上澄みを国家公務員試験でかっさらえば、国家機構を安定的に運用するだけの優秀な人材を獲得することができます。

つまり、日本(や中国)においては「公務員」になりたい人は沢山いて、国家が一々教育するまでもなく民間が勝手に優秀な人材を育ててくれるので、国家は試験をするだけで優秀な人材を得られたわけです。

一方フランスではそうではありませんでした。

1747 年、フランス国王ルイ 17 世は「国立土木学校」なる学校をパリに創建しました。これは国家の公共事業を推進する技術者を王家自らが教育、養成する学校でした。フランスの絶対王政期においてでさえ、国家は優秀な技術系官僚を自ら教育せねばならなかったわけです。

1789 年、フランス革命が勃発し、貴族政治は終焉を迎えたため、フランスは国家を運営するエリートを多数必要とするようになりました。結果、フランスは「国立土木学校」に類似する官僚養成のための学校を多数設置しました。

これらの学校は「グランゼコール(Grandes Écoles)」と総称され、直訳すれば「すごい学校」「高等な学校」というような意味になります。

いずれにせよ 18 世紀以降フランスは

しなければ優秀な官僚を得ることが不可能となっていたわけです。

そうして時は流れ第二次世界大戦直後、時のフランス政府首班・シャルル・ド・ゴールはナチス・ドイツにより荒廃した国土に優秀な官僚のいないという事実に直面しました。

ここでド・ゴールが採用した手段は優秀人材を在野から登用することではなく、「国立行政学院(ENA)」なる新しいグランゼコールを設立することでした。

これはようするに在野の人材のうち使い物になるのは少なく、改めて新時代の人材を国家自らが教育する必要があったということです。

このような事実は何を示しているかというと、「フランス人の多くは別に公務員になりたいわけではない」ということです。

本邦においては多くの優秀な人材が公務員を目指しています。また国家公務員試験であるとか、防衛大学校入学試験だとかいった公務員採用の試験には放っておいても様々な人材が勝手に集まります。

簡単に例を示せば、我が国では天木直人田母神俊雄佐藤優が放っておいても公務員になります。彼等が優秀かはさておき、いろんな人が集まっているということだけは間違いないわけです。

一方フランスにおいては

という奇特な考えを持つ人材のみが公務員になります。現代において「エリート養成機関」と認められるグランゼコールは上述の ENA や国立土木学校を含めてわずかに 5 校前後に過ぎません。

ようするに、フランスではそれら 5 校のグランゼコールに進学を志合格するような同じようなタイプの人間ばかりが官僚や政治家になるということです。東大やらなんやらを卒業しておけばとりあえずエリートと認められる我が国ほど多様な人材が供給される環境にはないわけです。

ところで正直いって我々日本人からは「シャルリーなる週刊誌を守ろう!!」と政治家が大声でいっている状況には或る種の不自然さを感じさせるところがあると思います。

例えば、例えばですよ、公明党の太田明宏代表と民主党の岡田克也代表が手と手をとって「ビートたけしによるフライデー襲撃事件を許すな!!表現の自由を守れ!!」などとがなっていたらお笑いでしかないです。ですがフランスではこれに似た出来事が起きています。

これは

ばかりが政治家に結集している結果だと僕は思っています。

ここで非常に辛い現実があります。上述の通りフランスで一番権威のあるエリート養成学校は ENA といいます。現在のフランス大統領フランソワ・オランドも ENA 出身者です。ところでハム速を守ろう!で有名な片山さつき氏は ENA の出身者です。

つまりフランスのエリート教育というのはその程度の水準であって、しかもその程度の水準のエリート教育を志すようなタイプの人間にフランスの政治や行政は支配されています。

実際のところフランス社会も当然多様性に満ちた社会であり。人々は様々な意見を持っています。にも拘わらずフランス社会が例のテロ事件に対して少々ヒステリックかつ滑稽な反応を示しているかのように見えるのはそのあたりが理由なのではないか、と僕は考えています。

まあ、大変ですね。

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