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日本人がいまいち情報社会にフィットできない理由

日本の情報社会がいつからはじまったかという問題についてまず考えてみます。いやその前に情報社会とは何かという問題について考える必要があるかもしれない。ここは面倒なので、情報が機械により大量生産され機械により消費、加工される社会ということにしておきます。

サプトンの発明、新聞社への普及をもって日本の情報社会が達成されたという考え方は、日本社会の情報化を最もはやく見積る考え方の一つだと思います。ただし、これはいくらなんでも無理があるのではないかと思います。

あるいは、 1960 年代末からのカナモジタイプライターやテレタイプの企業への普及をもって日本社会の情報化がなされたと考える人もいるかもしれません。

しかし、現実にはこれらのシステムは非常に限定された帳票の作成の機械化にのみ用いられていたというのが実態で、こうしたシステムをもって企業内の情報作成、処理の全面機械化を達成していた企業はかなり限定されていたのが実態です。また当然ながら情報とは企業内における業務処理以外のあらゆる場でも生産されており、それらはカナモジ化による機械化とは全く無縁だったでしょう。

実際、 1970 年代に日本語ワープロ JW-10 の開発が開始されたきっかけは、日本の新聞記者は手書きで文章を書かないといけないから情報生産の効率が低すぎる、という問題意識でした。

よって、日本語ワープロにより発明されたかな漢字変換という技術によってはじめて日本語の機械化が達成され、社会が情報化されたと考えるのは、そこまでまずい考え方だとはぼくは思いません。

では日本語ワープロの社会への全面的な普及がいつ達成されたかという問題があります。日本語ワープロの普及と平行してパーソナルコンピューターと PC 上のワープロソフトの普及も進んでいったという事情がありますが、ここではワープロ専用機と PC 上のワープロソフトについて区別せずに論じようと思います。そうすると日本社会の情報化というのが達成されたのは 1980 年代後半から 1990 年代初頭にかけて、というのが一番自然な考えではないかと思います。

つまり、日本社会は情報化されてからおよそ 30 年の伝統があるということになります。

次はこれが欧米だとどうかということについてです。欧米では日本や中国とは違い用いられる文字数がとても少ないので、タイプライターという非常にシンプルな形で文書作成の機械化が実現されました。また、タイプライターはカーボンシートを挟むことで文章の複製もとることができたので、ゼロックスがコピー機を発明するまで文章の複製に莫大なコストがかかった日本と比べてこの点でも有利だったと言えます。

ではこうした点をもとに欧米において各種の情報機械がいつ発明/実用化されたかというのを一覧します。

こうした事実を考えると、社会の本格的な情報化は遅くとも 1900 年には達成されていたと考えることができるでしょう。ここで重要なのが、欧米においてはこれらの(現代から見れば)原始的な発明をもって、きわめて自然な人間用の言語を機械化して扱うことが可能になっていたという点です。日本においてもこうした技術や機械は輸入されていましたが、限定的な形でしか活用することができなかったのです。

ようするに、日本は欧米と比較したとき、社会の情報化という観点では 100 年の遅れがあるということです。日本企業の経営者の多くが産まれついての情報社会の住民ではないです。一方欧米において、情報社会を経験していない人というのはとっくの昔に全員死んでいます。

故に日本組織のトップ層が欧米人ほどに情報やシステムを上手く扱えなかったからといって、それは責められるべきことではなくて、もうしょうがないことだということです。

では日本の組織がこうした問題についてどのように取り組んでいたかというと、それはもう人海戦術です。すこし前にあった現代と昔の仕事の違い - Yahoo! BBというプロモーション記事を読むとそれがよくわかります。

いえ、違います。作業内容は全部正しいんですが、本当はそれをもっと分担してやっていたということです。資料を探すのは資料を探す人、プレゼンするのはプレゼンする人、資料を作るのは資料を作る人、と完全な分業制だったんです

はい、パソコンが普及してから1番変わったのは、ひょっとしたらそこかもしれません。1人である程度のことは全てできるようになったので、働き方がそもそも変わりました

ここでどういう問題が出てくるかというと、日本社会の情報化の達成と同時に、日本ではバブル崩壊と長期不況という現象が起きたということです。 1990 年代から 2010 年代初頭において日本企業では幹部要員のホワイトカラーの採用を絞って非正規雇用を増やすという行動をとってきました。これは一般的に景気が悪くなったからみたいな理解のされかたをしていることが多いです。もちろん、一面においてはそれは真実です。

ですがこれには別の側面があって社会の情報化が達成された以上昭和の時代のように膨大な量のホワイトカラーを雇って過酷な人海戦術を回していく必要が無くなったからという面もあるわけです。

非常に悪い言いかたをしてしまうと、日本の文系大学教育というのは、この人海戦術に耐えられる、文章をとにかく作成すること「だけは」できるという人間を養成する機関として機能してきたといえます。故に、大卒の価値が激減してしまったわけです。

この点、大学院重点化というのは理念としては非常に正しかったと言えるでしょう。博士というのは研究を通じて、プロジェクトと情報の管理という情報社会に最も必要な技能をみっちりと叩き込まれるからです。本来彼らはその専門分野に関わらず情報社会のあらゆる場所でその技能を発揮することができます。

しかし、先述した通り日本社会にはまだまだ大量の非情報社会型人間が存在している過渡期的な時期なので、彼ら博士がそのような貴重な技能をもっているということに企業は気付けなかったということです。

逆に言えばこうした過渡期的な問題というのは、時間とともに勝手に解決していくということでもあり、あまり悲観する必要もないのではと思っています。

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