DHH の主張って
とかそんな感じで、ある種の複雑さを許容しよう。結果として最適な設計を得られる。というような感じのことが多いと思ってます。
ソフトウェアというのは元来複雑なものです。結局のところ、その複雑さをどのレイヤーで受け入れるかというのが、ソフトウェア開発の本質の一つではないかと思います。 DHH の主張というのは、それを薄く広く受け入れろというようになっている。
一方で TDD や DCI の仕組みって人に何かをアサインする人が全体的な整合性を整えて、あとの人は目の前の問題解決に注力するみたいな形になりがちで、中央集権的と言えると思う。
つまらない話だが
みたいな話になってくる。うまくバランスをとっていきたいものです。
ところで彼の主張の一つに「Cucumber を使うものは白痴」というようなものがあり、これに関しては全面的に首肯するところであります。