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書評 ジェイムズ・エルロイ 『BLOOD'S A ROVER』

本作 BLOOD'S A ROVER はいわゆる Underworld U.S.A. シリーズの完結編であり、シリーズを通しての裏の主人公である、J・エドガー・フーヴァーの正体と末路が描かれる。

作中の悪役がなぜ権力に固執し、その為の方法をどのように見つけ、如何にして怪物になっていったか、そしてどのように最期を迎えるかという点が描かれるのはホワイト・ジャズと同様であり、その構成もホワイト・ジャズへと極めて似通った部分があり、ホワイト・ジャズ同様に推理ではなく告白により謎は明かされてゆき、最後には全てを知る人物により全てが明かされる。

ケネディ兄弟やキング牧師という大人物の暗殺という巨大な柱石がありそこへ向け全てが巻き取られるように話が進んで行った全二作と異なり、本作ではフーヴァーという聊か地味な人物に向けて全てが収束していき、話の進行の中でドラキュラ・ハワード・ヒューズもディック・ニクソンもマフィア達もフェイドアウトしてゆく。本作からは少々地味な印象を受ける。

しかしながらこれは日本人故の感想なのかもしれない。作者は明らかにフーヴァーの死にアメリカの右翼の死を重ねているし、またフーヴァーはアメリカ人の感覚からしてみれば、 1900 年代最大の悪役の一人であろうから、その正体を大胆に創作した本作は派手な小説と写るのかもしれない。 作者は歴史上の事件の重要さについて常識と違った価値観を持っており、アメリカン・タブロイドにおいてピッグス湾事件を大きく扱う一方でキューバ危機を一行で片付けたように、本作ではニクソン時代の大事件であるウォーター・ゲート事件は扱われてはいるものの、非常に退屈などうでもいい出来事として扱われている。

これはウォーター・ゲート事件が作者が本作であつかうアメリカ右翼の終焉という一大事にあまり関わらないからであろうが、アメリカの歴史に詳しくない外国人にとっては不親切と写る部分であろう。

またハイチでのヴードゥーの流行は本作の中で大きな柱の一つとなっているが、これもアメリカ大陸の外の人間からすると感覚を肌で理解することは難しいところであると思う。

また本作は、時代小説であり歴史小説ではない。しかし右翼の終焉という一大事を扱う以上、歴史にストーリーは巻き込まれる。作者はフーヴァーの死を右翼の終焉の象徴として描くが、それは象徴でしかなく、クラッチがあの行動を取ろうが取るまいがアメリカの右翼は終焉していたことには変わりがないであろう。クラッチ自身は歴史を見たと語るが個人という形で歴史を切り取る作者の手法においては、クラッチが見たものは歴史の横顔でしかない。

いくつか文句をつけたが、作者一流の登場人物の描写、会話によりストーリーを進行させる手法、敵役フーヴァーの意外な正体、スパイ小説的な魅力と優れた点は非常に多く、極めて込み入ったストーリーかつ長い作品ではあるが、流れるように読んでいくことが出来る。

また L.A. コンフィデンシャル以降作者の作品には破滅型のピカレスクとしての側面以外に、青春小説、友情小説、成長小説としての側面があり、本作でもウェイン・テッドローとドワイト・ホリーの破滅が描かれる一方で、ドン・クラッチフィールドの成長が描かれる。クラッチは作中主要登場人物二名を殺害(うち一名は直接ではなくヴードゥーの呪いを用いて間接的にだが)するが、そのシーンは陰惨ながらどこか爽やかさがある。とくにウェインに勝利する瞬間は格別であると思う。

ところで L.A. 四部作シリーズから続く本シリーズでは主観視点を持つ主人公は 1 人ないし 3 人であったが、本作では 4 人目と 5 人目の主人公が登場する。 5 人目の主人公は種明しのために用意された存在であり、事前にアナウンスもされていたが、 4 人目のスコッティ・ベネットは完全な隠し玉であり、作者の従来の作品にはいなかったタイプの人物である。スコッティは優秀で、悪徳で、力強い警察官であり、作者の小説の登場人物によく見られる思想的な弱さや女性関係での弱さはどこにもなく、力強く豪快に悪の道を突き進む。その末にはスコッティはドワイト・ホリーまでもを打ち破ってしまう。スコッティはストーリーのメインラインとの絡みは少なく、視点が存在しなかったとしても問題の無い人物と思われるが、陰惨さと悲壮さがだだよう本作終盤において清涼剤のような役目を果していると言えるだろう。

上記のように時代小説、アメリカ人向けの小説であるが故の問題点を持ちながらも作者一流の面白さを持つ本作だが、翻訳や編集の質には少々疑問がある。

まずタイトルには大いに問題がある。原題は BLOOD'S A ROVER であり、直訳すれば漂泊の血脈、とでもなるだろう。漂泊の血脈とは、まず全てを仕組んだある二人組のことであろうし、主人公三人のことであろうし、フーヴァーのことであろうし、また思想的に揺れるアメリカのことでもあるだろう。いずれにせよ本作の本質を捉えた優れたタイトルだが、日本語版のアンダーワールド U.S.A というタイトルははっきりいって、非常に、ダサい。

表紙も本作最大の謎である現金輸送車襲撃を描いた原著のスタイリッシュな表紙とうってかわって日本語版ではアメリカ横断ウルトラクイズを彷彿 とさせる非常にダサい表紙がつけられている。 また訳にあっても Mark it now のような特徴的な表現はあまりうまく訳されているとは言えず(かといって僕にもこれの適切な訳分かりませんが)、 clusterfuck を混迷と訳するような少々お上品な傾向が見られ(これは素直に「糞の山」でいいと思う)、原著の雰囲気を損なっている部分がある。

いくつかの問題はあるがジェイムズ・エルロイの小説のなかで最も上質な作品のひとつであると思う。ハードカヴァー版は少々高価ではあるが、十分にその価値はあるだろう。


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