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歴史から理解するプリズム事件

なぜ FBI なのか?

プリズム事件は簡単に言うとアメリカ連邦捜査局(FBI)がアメリカ国家安全保障局(NSA)と協力し、複数の IT 企業の保有するログデータを収集していたという事件です。この事件の構造を理解するためには、アメリカの治安機関、情報機関の概要とその歴史を理解する必要がありますのでそれを簡単に解説します。

まず今回の事件の重要なポイントはアメリカ中央情報局(CIA)と NSA が仕組んだ諜報工作ではないという点です。一般にアメリカでは、諜報機関が自国民を対象としたスパイ活動を行うことは厳しく制限されています。この点公安調査庁が国内組織に対する諜報活動を行うことを許可されている我が国や、憲法擁護庁が国内組織に対する諜報活動を行うことが許可されているドイツなどとは大きな違いがあると言えるでしょう。

アメリカは個人の自由を極度に重視する国であったという歴史があります。ゆえに個人の自由を掣肘するアメリカ国民への諜報活動は厳しく制限されてきたのです。逆に言えばアメリカの諜報機関は外国に対する諜報活動は当然自由に行うことができます。外国人の通信を CIA と NSA が傍受することはアメリカの法律上では問題はありません(当然当該国家の法律には反することがほとんどですから露呈すると外交問題になるわけです)。

こうした原則には例外があり、それは犯罪捜査の場合です。犯罪捜査とはいわば犯罪者に対するスパイ活動であると言うことができます。よって犯罪捜査の場合のみアメリカの政府機関はアメリカ国民をスパイすることができます。

今回のプリズム事件の実行の主体が CIA ではなく FBI であるのはそのような理由に依拠しています。

なぜ FBI はこのような違法スレスレの捜査を行うのか?

今回の事件について、諸国の報道は「個人の自由を意に介さず、官僚機構の要求にはすぐ屈する押しに弱いオバマ大統領によって仕組まれた」という論調が多いです。実際そういう側面はあるのでしょう。しかしながら今回の事件を引き起こした FBI の方針を決定されたのはブッシュ政権時代のことです。

まず、プリズム事件はアメリカ連邦政府が違法な盗聴行為を働いていたという事件ではありません。あくまであらゆる盗聴は合法な行為として行われていました。今回の事件の盗聴行為は以下のようなプロセスで行われました。

  1. FBI と NSA は外国情報活動監視法に基づいて証拠を提出した上で、対外情報活動監視裁判所に対して令状を請求する
    • 外国情報活動監視法には緊急時には令状を待たずに盗聴を行うことができるという条文がありますが、その条文の適用にはさすがに慎重であったようです
      • さすがにこの条文が発動するのは世界大戦発生時や米国本土が直接大規模テロにさらされたときのみでしょう
    • 対外情報活動監視裁判所はその審理が非公開であるという点が特徴的であり、 Secret Court などとも呼ばれ、これにより日本国内では「秘密裁判所」と呼ばれることが多いようです
  2. 対外情報活動監視裁判所が令状を出した場合、それに基づいて IT 企業各社にログの開示を求める
    • 通常企業には個人情報保護義務がありますが、このプロセスに基づいて個人情報を開示した場合法的責任は問われません

外国情報活動監視法に基づき FBI が国内を盗聴するのは以下のような理由に依ります

一般に言って通信の秘密には二つの段階があります。それは「通信が存在していたことの秘密」「通信内容の秘密」です。今回の事件では前者を侵すような令状はかなり簡単に出ていたことが報道からはうかがえますが、後者の侵害については各機関共慎重であったようです。

以上のように、今回の事件はあくまで「合法な行為」の範疇として行われたわけですが、逆に言えばこうした行為を合法に行うための仕組みがアメリカには存在しているわけです。そうした仕組みが複雑かつ欺瞞的なものであることは上記の説明を読んだ人は皆感じられることであると思います。「外国情報活動監視法」という名称の法律は実際には国内を監視するための法律である時点でそれはそうだと考えます。

この外国情報活動監視法を成立させたのはブッシュ政権です(ちなみに当時上院議員だったバラク・オバマは当初この法律に批判的でしたが後に転向して賛成しています)。このようにブッシュ政権は「犯罪に対して攻性」であり、個人の自由に対しては消極的でした。

こうしたブッシュ大統領の犯罪に対して攻性な性質が政策に反映されるようになった直接のきっかけは誰でも予想できることとは思いますが、 2001 年同時多発テロ事件です。

2001 年同時多発テロ事件について FBI のミュラー局長から報告を受けたブッシュ大統領は当該テロ事件に関する報告には何らの興味も示さず、 FBI に対して以下のように命令しました。

「そんなことはどうでもいい、次のテロを防ぐための方法を考えろ」

FBI は当時は標準的な警察組織であり、基本的には「すでに起こった事件を解決する」ことに重点が置かれており犯罪・テロを防止するための組織ではありませんでした。またかつてはソ連のスパイを摘発するという予防的な機能をもつ組織でしたが冷戦の終了によりそのような組織は縮小傾向にありました。よってブッシュ大統領のそのような要求に応えることは出来ませんでした。

そこでミュラー局長はカミングス特別捜査官などを中心とした新たな「犯罪に対して攻性」な組織を FBI 内部に構築しブッシュ大統領の要求に応えることにしたわけです。こうした事情によりミュラー局長は特例により「FBI の局長の任期は最大で 10 年」というルール1を突破して FBI の局長に在任し続けています。

カミングス は、イスラム教徒への重点的なスパイ活動によりテロを防止するという方針のもと行動してきました。そうした犯罪に対して攻性な捜査活動の中心となってきたのは戦略作戦班(TacOps)です。 TacOps は要するに「合法な押し込み強盗」です。プリズム事件と同じような仕組みで令状を取得した上でテロ関係者と思わしき人物やマフィア関係者の住宅に押し込み、証拠を収集してゆくわけです。

TacOps の作戦能力は高く、ターゲットに気づかれず周辺住民にも気づかれずに住居に侵入し、荒らしまわった痕跡もすべて隠し撤退していきます。 TacOps の中には飼われている猫や犬に対処する技術を持ったスタッフまでいるのです。

TacOps の捜査活動は FBI の公式発表の上では高い効果を上げたことになっています。こうした物理空間における違法スレスレの捜査によって自信を深めた FBI はその捜査活動の手を電子空間にも広げていくわけです。そして上記の外国情報活動監視法が成立したのは 2008 年というわけです。

FBI の発足の秘密

初代局長ジョン・エドガー・フーヴァーがどんだけ異常な人物でそれによってアメリカの諜報機関や連邦権力そのものがどんだけゆがめられてきたかみたいなこと書かないとこの話終わらないんだけどそれ書くとこの記事はあと 50 倍ぐらいの内容を書かないといけないので力尽きました、そのうち書きます。

参考文献

FBI の歴史を概観するには「FBI の歴史」が、 TacOps など最近の FBI の方針や組織を理解するには「FBI 秘録」がそれぞれ役に立ちます。


1. このルールは初代 FBI 局長ジョン・エドガー・フーヴァーが 50 年にもわたって FBI 局長に在籍しさまざまな弊害を引き起こしたことにより制定されました。しかしながらフーヴァー以後も FBI 局長はあまり人材に恵まれなかったこともあり「初めてのまともな局長」ミュラーは特別に長期間局長に在籍しているというかっこうです。ゆえに「ミュラー長期在任によるのフーヴァー化」という見解も一部報道には存在しています。

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