電王を三つに分ると、1話から22話の序章、23話から劇場版および28話までで構成されるガオウ編、29話から最終回までのカイ編、この三つに分られると思う。
んでもって、序章は良太郎と侑斗と5人の味方イマジンがストーリーの中心でガオウ編ではガオウという時を破壊することを目論む巨悪がストーリー展開の中心となり、カイ編ではカイという時を破壊することを目論む巨悪がストーリー展開の中心となっている。
以下は完全に個人的な印象で作品語りをするとても気持ち悪い文章になってるので読まないほうがいいですよ。
考えてみれば、ガオウ編もカイ編もやっていることは同じで、イマジンを手先にして時の破壊を目論む巨悪に良太郎と正義のイマジン達が勝負を挑み苦闘の末巨悪を打倒する(カイまだ死んでないけど)というものである。
本当に個人的な印象だが、ガオウ編のほうがカイ編より盛り上りがあった。ガオウ編は映画連動だから制作に力が入ってるだとかそういう要素もあるだろうが、最終的にはストーリーの中心たる巨悪の魅力の差じゃないかと思う。
カイはなんというかガオウよりも明かに悪役/キャラとしての魅力が薄い。2chやブログ界隈でもそういう印象を持っている人は結構多いようみ見受けられる。
悪役としての魅力はつまり、視聴者/読者にその悪役をどれ程強く「殺してやりたい」と思えるかだと思う。微妙な例を使って説明するが、「ビック・ノーウエア」でコンシディーンに共感してダドリー・スミスを殺してやりたいと思った読者は結構多いと思う。あれはコンシディーンというキャラクターの描写が優れていたというのではなく(実際コンシディーンの魅力はエクスリーやアップショー、クラインといったエルロイ作品の主人公達より明かに格下だ)ダドリー・スミスという悪役の魅力が傑出していたためだ。
自分と直接関係ないのに「殺してやりたい」と思う奴ってどんな奴だろう?
正当性がなく大量に人を殺す人物
信義に欠ける人物
必要以上に冷酷な人物
裏切り者
こんな感じだろうか。
ガオウは自らの欲望の為だけに自分にとって都合のいい時間を作り出すことを目論み結果60億人を抹殺するような手段を取った。正当性のない大量殺人であり、真田幸村に対する扱いは信義に欠け必要以上に冷酷であった。そしてキャラクターとしての一般的な魅力であるキャラの濃さを見につけているしそして変な衣装と、まったくベタな悪役で非常に魅力的だ。
対してカイはどうだろう。カイは自分とイマジンの為に自分の時間を手に入れるために良太郎達の時間を破壊することを目論んだ。信義には欠け必要以上に冷酷だが、その大量殺人には自分と仲間の時間を手に入れるという正当性がある。暴論だが正当性のある大量殺人者は英雄だ。
カイはある意味555の村上峽児に似たキャラクターだと言える。村上峽児もまた微妙な消えかたしか出来なかった。それは彼もまた英雄だったからだ。英雄は華々しく散ることは出来ない。その死は唯消え去るのみである。純粋な悪のみが華々しい最後を得ることが出来る。
村上峽児は人間の差別に耐えかね全てのオルフェノクを救う為に立ち上がった、ヒーロー物における典型的な英雄タイプの人物である。彼は基本的に冷静、かつ冷徹な指揮官である。冷静に部下達に「死ね」と言うことが出来、そして必要があれば自ら戦いの最前線に立ち圧倒的な力を発揮し、そして最後にはオルフェノク全ての将来の為に自らの命を投げ出した。しかしその死はまったく華々しくはなかったと思う。
ガオウは悪役でしかないキャラクターだから戦って華々しく散ることが出来た。カイは悪役であり、英雄である。悪役と英雄は相容れない。だからキャラクターとしての魅力が一段落ちるし、そしてその死は絶対に華々しくありえない。
ベタな悪役じゃなくて、ちょっと捻った悪役を出したい。そういうのはよく分かるんだけど、ベタを恐れちゃいけないと思う。俺はベタを上手く回している作品(ガオウ編だ)が一番が面白いと思う。
追記:[2008-01-15-2]を読め