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屋久島沈没


中学受験とか

昔中学受験とかいうのをさせられた。

別に自分でしようと思ったのではなく、当然親の意志。父親は超大企業のエリートで、バブル期に家を買うようなこともしてなかったので経済的に余裕がある家庭だった。なんか底値のころに家買ってた記憶がある。杉並区の駅まで徒歩十分のそこそこの広さの土地が 4500 万円とかの頃。

小学五年生の春から中野坂上にあった日能研に通っていた。日能研は成績順でクラス決まるとかいうシステムだったと思うけど、一応一番上のクラスだった気がする。

その中野坂上の日能研だったけど、算数の先生の体臭が臭くて耐えがたかったので親に泣き付いて吉祥寺の日能研に移った。あの人以上に体臭がキツい人に結局出会っていない。

吉祥寺の日能研には体臭が臭い先生はいなかった。かわりに理科の先生が生死に問題がありそうなレベルで太っていた。

吉祥寺の日能研でもなんか一番上のクラスにいた記憶がある。

小学 5 年生の秋頃、世の中にどういう私立中学校があるのかとか調べはじめてた。

僕はこの通りプライドが高いので、偏差値が高いので有名だった開成中学校というところを受けようと思った。

ちなみに父親は僕同様プライドが高く、学生運動が荒れて試験不実施とかがあるなか 2 浪ぐらいして東大に入ったりしている。その父親が開成中学校という選択肢にあまり乗り気ではなかったのが印象的だった。入学式の日に、赤地に右上に金色で校章が入っている、という学校の旗を見てこれが原因かと気付いた。国旗国歌も無かったし。僕が通っているときにはもうそういうのはあまり残っていなかったが、開成というところ、昔は共産主義者が集まっていたんだろう。

しかし思い起せばあまりに可愛げの無い発想をする中学 1 年生ではある。

日能研は成績でクラスと席が確定されるというシステムがあった。毎週末にその週の復習的なテストがあって、毎月初には総合的なテストがあるとかいうシステムだったと思う。んで成績がいい奴から前になるとか。

不真面目な僕は殆どノートを取っていなかったので、毎週の復習のテストはそんなに成績はよくなかった。といっても一番上のクラスから落ちる程ではなく、そのクラスの一番後ろの席に配属される感じだった。

毎月初の総合テストだけ成績がよくて月のはじめの一週間だけ一番前の席に配属されていた。その週だけサボり難いのが大変だった。

基本的に週の 3/4 はクラスの後ろの方にいて、隣にはだいたいいつも同じ女の子がいた。その S さんという子といつも少女マンガの話をしていた。

この前その S さんと奇跡的に再会し、彼女は立派なイナズマイレブン同人屋になっていた。この前の冬コミではみなさんも御存知の通りイナズマ島は酷いことになっていたので、彼女の同人誌を買うことはかなわなかった。

小学校 6 年生になると、日曜日には志望校別の特別講座みたいのが開催されるようになり、それに参加することを命じられた。

開成中学校特別講座みたいのを希望したら、成績による審査にはなんとか通った。

開成中学校の講座は日能研西日暮里校で開催されてた。日能研西日暮里校、開成高校の裏にある。道灌山を登らなきゃいけないので坂キッツい。

そこでは 4 クラスある内の下から二番目の成績のクラスだった。初日に「このクラスの人間は統計的に 1/3 ぐらいしか合格しないんで頑張ってください」みたいなこと言われた。

それでやる気下る奴もいるかもしれないだろうがとか思った。僕自身は無感動な感じだった。

ところでそこに行ってみてびっくり、上位 2 クラスの算数の先生、中野坂上校にいた体臭の臭い先生だった。自分の成績の微妙さ感謝することしきりだった。

小学校 6 年生になったところで真面目になる訳でなし、適当にやっていた。算数の成績はクラスの中の下、理科は中の中、社会は中の上、国語は上の上みたいな感じだった。

ところでその講座、朝の特撮見てから行くと微妙に遅刻気味になる時間帯だった。僕は毎週遅刻した。私事による遅刻を厭わない精神はあの場で完成された気がしている。

クレヨン王国は録画で見てた気がする。

そのまま 10 月までダラダラ勉強していた。成績はギリギリ合格圏ぐらい。

10 月になったら親がいきなり厳しくなった。

たかが小学生が親に激しく反抗出来るでなし、家では真面目に勉強させられた。塾や学校での手抜きは怠らなかった。 10 月から成績上がるということもなかったのであれあんま意味なかったんじゃないかと思う。

そして 1 月の終盤、 2/1 の試験本番も迫り、俺はインフルエンザに罹患した。

1/31 は一日遊んで過した。なんか使ってたツールとかいろいろアップデートしてた気がする。

2/1 には若干落ち着いていたけど、39 度ぐらい熱があって、しかたないのでそのまま試験に行った。

試験監督がすごくよぼよぼのおじいちゃんでこの学校大丈夫なのかと思った。そのよぼよぼのおじいちゃんには中学一年生の時にさっそく授業で遭遇することになる。

試験は無難に解いた感じ。家に帰って問題用紙にも書いておいた答えを親に見せたら、分数の計算の間違いが早速発見されて「おいおい大丈夫なのか」みたいな空気になった。

他二つぐらい受けた。早稲田中学と巣鴨中学かな?あんまよく覚えてない。

受けたところ三つとも合格って、誰もが驚いていた。自分が何もしていなかったのはよく知っていたので、俺が一番驚いた。

という日記。

http://d.hatena.ne.jp/hiroyukikojima/20100207/1265553342
中学受験を終えて思うこと


というのを読んで触発されて思った。この人の子供は凄く不幸だと思う。この人の子供は「先生が臭い」という理由でサピックス下高井戸校を転校することは不可能だったであろうから。

他人の体験記とかを読んだり聞いたりすると、人生のいろんな局面でいろいろ恵まれていたとは思う。金銭的にどうこうというよりは、多様な選択を親に否定されるということがなかった。

思うところがいくつかあって、中学受験の成否など、本人の資質が全てだ。そこでどういう成功をおさめようと、その後の人生にはあまり影響はない。俺みたいに高卒就職する奴もいんぞ。

なのだから、あまり子供にいろいろやり方を強制するのはよくないし、子供の選択をちゃんと聞いてやれとは思う。

ちなみに、開成中学校、高校というところ、なんだかんだで多様性は全く無い場だった。みんな進路は東大か医学部。京大を選んだら変人呼ばわりされる感じだった。海外の大学に進む人間は一人しかいなかった。軍人になろうとする人間は二人しかいなかった(その内の一人が僕だ。ちなみに落ちた)。経済成長が終った現代であそこに子供を入れるのがいいことなのかどうかは正直僕にはよく分からない場ではある。

小学生が自ら中学受験という選択を選ぶということはまずないのではないかと思う。周囲の中学受験を経て来た人間達は、みな長時間の学習という努力を厭わないという美徳を身につけていた。私事による遅刻を厭わないという美徳を身につけた僕は例外であろうと思う。

多分、中学受験に意味があるとしたらその程度だ。そして、長時間の努力を厭わないのがいいことなのかどうか、僕にはよく分からない。僕は努力しないと出来ないことなど、それを努力しなくても出来る人間にやらせてしまえと思っている。つまり比較優位の話だ。

ただ、厳然たる事実として、国内で働くにせよ、海外に脱出するにせよ、学位がある程度重みを為すという現実はある。

理想を言えば、小学 4 年生の我が子に対して(本格的な中学受験は 5 年生からはじまるので)そういうさまざまな社会情勢や選ぶことが出来る選択肢、その先を解いて、自分に選ばせることだと思う。中学受験など意味のないものだと言い切るのは簡単だが、なんだかんだでその結果はその子の人生を大分拘束してしまう。回りに東大行こうと思ってる奴しかいないところに行きでもしたら、なかなかそれ以外の選択肢というのは見えてこないのではと思う。

それが小学 4 年生の子供相手に通じる話なのかどうかは、僕は自分で子供を育てたことが無いので知らない。

まとめて言えば、親は子供に対して常にいろんな選択肢があることを示してあげるべきだと思う。それが出来なくても子供の選択の邪魔はしないべきだと思う。それで子供が失敗したとしても、所詮はそいつの責任だ。最低限 22 歳ぐらいまでは親の方でセイフティネットを用意してあげて、後は放っておけばよろしい。

これは極端な話としても、せめて子供が「学習塾の先生が臭い」と言ってきたら学習塾を転校させてあげるべきだ。算数の葛西先生はそれくらい臭かった。

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