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屋久島沈没
日本人はなぜ周りの人間にあわせるのか
日本人は同調的だとかよく言われる。それが長期的な不況の一因だとか言われているのもよく聞く。同調的だから革新が起きないんだ的な論法。
この手の話というのは数値化することが極めて困難あるいは不可能で、つまり実証することはできない。でも実感として感じられるものは、少なくとも僕にとってはある。
どうしてこうなったのか。
具体的には、欧米と日本で何が違うのか。
信じられているものが違う。欧米人は、神を信じる。日本人は、周囲の人間を信じる。たぶんその程度のことだと思う。
日本と欧州の戦乱の時代を見てみる。
ところで、「武士道と云ふは死ぬ事と見つけたり」というフレーズで有名な、戦国乱世的武士道へのノスタルジーの集大成である『葉隠』という本がある。この本は江戸時代に書かれた。『葉隠』には「同性愛というのは男女の愛よりも重要なものである。だからホモセックスには気をつけろ。同性愛の最も顕著なものが主君への忠義である」というようなことが書かれている。
具体例もある。顕著なところでは室町幕府初代将軍足利尊氏は側近にして寵童の饗庭氏直に幕軍の主力を指揮させた(これは高一族が殲滅されたという危急の事情にもよるだろうが)。織田信長は寵童森蘭丸に麾下の指揮を任せた。
ここで欧米を振り替えってみる。欧州で有名な戦争と言えば十字軍がある。神の名のもとに、イスラム世界を徹底的に蹂躙した。騎士達は神に忠誠を誓い出撃した。散文的な事情を言えば、イスラム商人の商圏を破壊しようとした欧州商人が教皇を突き上げたのだろう。しかし、教皇は、十字軍に参加すればあらゆる罪が許されるという触れを出したところ、参加兵力は増大した。権力に居座る腐敗した層は別として、末端のもの達への「神の権威」の威力は凄まじいものがあった。
この以上二つの事実が日本社会が多様性を確保出来ない、即物的な社会しか構築出来ないことの理由ではないかと思う。
欧米人は神を信じる。それと同じように日本人は周囲の他人を信じている。
日本人にとって、他人とは神なのだろうと思う。神を信じているのだから、明治維新以後欧米型の政治制度を簡単に取り込むことが出来た。
欧米人と日本人の精神世界構造というのは、実は殆ど似ているのではないかと思う。それは、騎馬民族の活動圏を中心とした文明圏論みたいなので説明がつくことだと思う(こういうこと言ってたの誰だか忘れた)。騎馬民族がいて、その外側にイスラムと中国がいて、その外側に欧州と日本がある、みたいなの。
でも、欧米人と日本人で決定的に違うことがある。神は、存在しない。他人は、存在する。
キリスト教者にこれを言えば怒られるかもしれない。神は確かにいるかもしれない。しかし、神を知覚出来る人などいない。知覚出来ている人がいたとしても、それを立証することは出来ない。つまり、神はいない。あるいは、いてもいなくても、同じ。
散文的なことを言えば、ヤハウェはユダヤ人の地場信仰が形式論理学と結び付いて生まれた化け物にすぎないし、カトリックの神などそれにさらに欧州の地蔵信仰が混ざったキメラにすぎない。
神を信じるとはどういうことか。つまり、自らの思考の内に存在するものを信じるということであり、自分を信じるということ。
でも、他人は存在する。知覚出来る。他人を信じるとは、他人を信じること。
信じることは力になる。しかし、制約にもなる。
信じているものが自分なら、自己を変革することで、いかようにも飛躍することが出来る。他者の変革を(場合によっては)許容することが出来る。
しかし、他者を信じているならば、そうはいかない。一人二人の他者を変革することはできる。しかし、数十万人数百万人の他者を変革することはできない。他者を信じ他者により制約されることが意識を作りその集合体が社会システムを作っている。多様性は確保されない。
というようなことを僕は割と真面目に考えています。でもこんなのが屁理屈に過ぎないというのも分かってます。言ってみれば、どうでもいいことなんですよ。似たような話を展開して逆の結論を語る文書を書けといわれれば、書ける自信が僕にはある。数値化出来ない話だから。印象論だから。
どうしてこうなった、とかそんな視点で過去を見ても仕方ない。過去は、何も参考にならない。歴史上過去の出来事を参考に出来た人間の例など皆無に等しい。そもそも人間は自分の過去すら振り返ることができない。諸葛亮は兵站が破綻した戦争を繰り返し、ハンニバル・ヴァルカは過去自分が使った作戦を食って敗走したし、俺は夏コミでも冬コミでも同人誌をギリギリに入稿した。
気にいらないことがあるなら、自分を変えればいいし、それでもだめなら社会の方に戦いを挑むのもいいかもしれない。民主主義に沿って戦ってもいいだろうし、暴力に依るのもいいかもしれない。少なくともどうしてこうなったとか言っててもしかたない。
くりかえしになるけど、周囲の環境が、過去どういう事情が、とか他者を信じすぎる、気にしすぎることがやはり一種の日本の停滞の原因なんじゃないかと思う。
やりたいことやればいいじゃんと思う。
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