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屋久島沈没


押尾先生が LSD と MDMA のカクテルで捕まりましたね

そんな訳で今日はこれに関連してアフガニスタンやパキスタンの農民が幸せになるために我々に何が出来るか、という話をします。

アフガニスタンでは最近、カンダハルなんかは結構好景気です。これはなんでかというとカンダハルはタリバンに支配されているからです。タリバン(本当はターリバーンみたいな発音らしいですね)というのはちょっと前にアフガニスタンを支配していたんですが、アメリカ軍にボコボコにされてしまったあの組織です。

アメリカ軍はタリバンをボコボコにしたのはいいんですが、撲滅するには及ばなかった。そしてその後アフガニスタンに強力な軍隊を駐留させ続けることは出来なかったし、アフガニスタンの警察や軍隊をちゃんと鍛えあげることも出来なかったし、またアフガニスタンはかつての日本とは違っていろんな考え方をする人達やいろんな宗教を信じている人達がいたので、群雄割拠の状態になってしまった。そしてその群雄の中でなんだかんだで頭角を表わしてきたのがかつての支配組織タリバンでした。

タリバンがなぜまた返り咲いたかというとケシの栽培について方針を変えたからです。タリバンというのはイスラム教に基いた組織でアフガニスタンを自分達の教えのもと統一しようとして、一度は統一に成功したわけです。んでもってイスラム教の教えのうえでケシを栽培するというのはあまりよろしくない。ケシというのはヘロインの原材料です。イスラム教はあんまり麻薬を使ってはいけない。使ってはいけないのでケシの栽培を全面禁止したんだけど、ヘロインというのはとても儲かる、活動資金になる、というのでかつてのタリバンは自分達の厳格な管理のもとでヘロインを製造して、なるべく農民がイスラム法を破らないようにしていた。

しかし、アメリカ軍にボコボコにされてしまってお金も組織力も支配力もかつてよりも減ってしまったので、そうも難しいことは言っていられなくなった。何がイスラム法や、おれたちは実利重視やで!!農民と Win-Win の関係を結ぶんや!!というふうに方針転換をしました。

どういうことかというと、支配地域の農民に全面的にケシの生産を認めるかわりに、その農場から一定の税金をとる、そしてその農場はタリバンが守る、というふうになったわけです。これは農民は大歓迎です。何故ならケシの生産はとっても儲かってお金持ちになれて幸せになれるからです。そしてタリバンもケシ農場の税収で自分達の狂信的な活動を行なうことができて幸せになれる。みんなが幸せ、 Win-Win !!ビジネスに携わる人間はこういう Win-Win の関係というのを常に考えないといけないんだ!!!

そんな訳でタリバンは勢力を拡大し、農民は幸せになった。 2007 年のころにはアフガニスタンでは膨大な量のヘロインが生産されるようになった。ジャンキーも幸せ!!んで拡大した勢力をもとにタリバンはパキスタンに勢力を扶植しはじめました。この時に、より多くの軍費を確保するために支配地域でのヘロインへの課税をケシの生産税以外に運輸業者や生成業者へ拡大したんで、 2008 年 2009 年とアフガニスタンでのケシ栽培はちょっと減り気味です。

いずれにせよタリバンは増税とかしたんで莫大な軍費を手に入れ装備を整えパキスタンに侵攻しました。そして新たに獲得した支配地域では農民にケシ栽培というビジネスを教えてあげたのでその地域の農民も幸せになりました。ここでも Win-Win !!こういううまい作戦もあいまって今年の春ごろなんかにはパキスタンの首都イスラマバードを伺う程でした。

そういうわけで、ヘロインを買えばそのぶんだけパキスタン西部の貧農が豊かになります。ヘロインを買おう!!!!!



ところでケシで豊かになるってのは僕は素晴しいことだなーって思うんですが、そうじゃないと思う人のが多いというのも分かります。じゃあここでどうするべきでしょうか。物資援助?大規模な農業支援?駄目です。物資援助したって無駄だし、まともな農業なんて定着する訳ないじゃないですか。

結局必要とされるのはダショー西岡のような人物です。ダショー西岡ってのは日本ではあんまり有名じゃないんですが、どういう人かというとブータンの貴族です。もともと日本人だったんですがブータンの貴族になってブータンの貴族のままブータンで死んだという人物です。ダショーってのはだいたい「最高の人」とかそんな意味で、ブータンで最も栄誉ある称号の一つで外国人でダショーに列せられたのは西岡京治という人一人だけです。

んでそのダショー西岡が何をやったかというと、以下のような感じです。西岡京治は 1964 年、海外技術協力事業団の主催する農業支援プロジェクトの一員としてブータンに 2 年という任期で向い、ブータンの土地柄や民族柄にあった漸進的な農業改革を始め、 2 年で小さいものながらある程度の成果を上げました。これを当時のブータン国王に認められ、ブータン国王から慰留され以後 26 年に渡り日本本国からの帰国要請を撥ね除け続けブータンの農業改革にあたりました。 1980 年には国の恩人として国王から「ダショー」の爵位を与えられました。また昭和天皇の大喪の礼にあっては「ブータンの最高の貴族にして国王の側近中の側近」としてブータンの弔問団として日本に「訪問」したりしています。以後もブータンの農業の為に働き続けて、 1992 年、街の市場に様々な種類の野菜が並べられているのを見るに及び、ブータンには立派な農業が根付き自分の役目は終ったと悟り帰国の意を固めましたが直後に病に倒れて亡くなりました。ダショー西岡の葬儀は日本の妻の希望などもありブータンの形式でブータンで葬儀が行なわれ、国王王太子以下多くの重臣が参加する国葬の形で葬儀が行なわれ、ブータンでも最高の位の僧侶が 40 人も集まって読経し、またダショー西岡の恩恵にあずかった農民ら 5000 人が葬儀に駆け付けました。

んでダショー西岡の写真がこれです。

ダショー西岡

これ、どこにいるか分かりますか。ダショー西岡ってのは日本人です。最前列右から 3 番目がダショー西岡です。

これから分かることがどういうことかというと、「まともな農業支援には 30 年の年月がかかるし、それを達成するにはその国の国民になってその国の農民の視点で物事を考えていく必要がある」ということです。こんなことが出来るのはとても普通の人間ではありえない。ダショー西岡というのは 100 年に一人いるかいないかの大英雄でしょう。




というわけでアフガニスタンやパキスタンの農民が豊かになるために、我々はどうするべきか。ダショー西岡のような覚悟をもってアフガニスタンを支援する活動をしてアフガニスタンで死ぬか、ヘロインを買うしかない。少なくとも「ヘロインを取り締まればいいじゃん、それで代替作物を教えてあげればいいじゃん」という軽い一言で解決出来そうな問題ではありません。

そんな感じなのでヘロインを買いましょう!!!!




ぼくは麻薬取締法で捕まるのも嫌ですしアフガニスタンで死ぬのも嫌なので見て見ぬふりをしていこうと思います。

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