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屋久島沈没
量的な変化が質的な変化がどうたらこうたら
某写真集を買うなどしたので(Twitter無ければこんなもん絶対買わなかったでしょうね)、量的な変化が質的な変化を生む場合というのを少し考えてみた。
例えば写真の場合
(分かり易くするためにとりあえずレタッチのことは考えない)
従来のフィルムカメラでの写真は「決定的瞬間」という言葉に代表されるがごとき「現実から一瞬を切り取った」ものだった訳だけれども、デジタルカメラが一般的となった今日、カメラと高性能な望遠レンズと大容量記録のメディアを数枚、あるいはフォトストレージなどを用意すれば、自由自在に一日数百枚の写真を撮ることが可能で、これらの装備フィルムで同じようなことをしようとしたときに比べて極めて軽量で、しかも撮った写真はパソコン、インターネットを使えば確認、発表が可能であり、そのコストも極めて低い。
確かに撮られた写真そのものは「現実から一瞬を切り取った」ものではあるわけだけど、それが何百枚もあって、そのなかから自分の気に入ったものを選んだ結果というのは一瞬というのとはまた違う価値を持っているんじゃないかという気がする。
写真の"質"は量的な変化で確実に変った。んでそれを肯じないおっさん(というかじいさん)が気炎を上げてたりするけど、デジタルカメラで気合をいれて一瞬を撮ることは十分に可能な訳で、写真は量的な増大によって質もまた増大した、と。
書いてて面倒になったから続きはまた今度考える。
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